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IDC 2012 参加学生レポート

参加学生報告レポート

宮木勇(東京電機大学 ロボット・メカトロニクス学専攻 修士1年)

1.日本を案内するということに関して

今回、開催国として大変だなと感じたこととして食事の際の食べ物の説明があります。その食べ物について英語で説明することが大変なのはもちろん、その食べ物に関する知識がないことを痛感しました。食べ物の他にも普段は気にも留めない建物の標識の意味、JRとは何の略か、何の建物か等、様々な質問をされました。正確な回答はできませんでしたが、答えるうちに物事を単純にとらえて英語で説明する能力は今回で身に付いたと感じています。質問に答える中で日本という国を客観的に見る視点も同時に身についたと感じています。IDCを通して今まで身の回りに関心がなかったことを知り、これからはもっと身近なことに関心を持って過ごしていきたいと思いました。

2.ルームメイトや外国人学生との交流との交流

IDCに参加して最もよかったと思った点は外国人学生との交流です。ロボット制作が夕方の16時ごろに終わると、その場に他チームの外国人学生を誘って色々な所に出かけました。出かけてホテルに帰ってきた夜にはチームメイトであり、ルームメイトでもある、Wangとお互いの国、日本と中国の文化について話しました。その他にも外国人学生の部屋へ行ってタイ人やシンガポール人と楽しい宴をしました。宴の中で様々な国の人と一緒の時間を過ごし、言葉や文化の壁を越えて笑い合うことが凄く楽しいことを知りました。

仲間との宴 お寿司屋さんにて

3.チームメイトについて

私はPurpleチームでした。自分のチームメイトはシンガポールのKen、フランスのAnthony、中国のWang、韓国のParkと自分の5人チームでした。KenとAnthonyは自由奔放で発想が柔軟な一面を持ちつつも、行動力がある人でした。Kenは英語と中国語が得意で、日本語も少し話せたため、リーダーシップをとってくれました。競技会の各チームに対し対策を立案、試合中の各自の役割分担を提案するなど、彼の行動力には驚かされてばかりでした。Anthonyは制作、加工の中心的存在でした。常に自分にすることがないか探していて、自分も見習いたいと思います。WangはKenとAnthonyと中国語で付き詰めた議論の結果を自分とパークに英語で説明してくれるなど,議論の中心的存在でした。Parkは韓国のチームメイトと仲が良く、うちのチームで足りなくなった材料を友達から調達してくれたり、ときどき冗談を言ったりとチームのムードメーカ的存在でした。Purpleチームのミーティングは英語のほかに中国語でも行われました。私はこのことに衝撃を受けるとともに英語はこれからの時代、最低限習得している必要があると感じました。私の班での役割はサポート役だったと思います。チームの机は一度作業が始まると片付ける人が居なく、その日の作業が終わるころには雑然としていた状況がありました。私はこれでは作業を滞らせると感じ、作業中こまめに机の整理を行い、後片付けをしっかり行うことに努めました。掃除は毎回Parkと一緒にやったのはいい思い出です。キャップの閉まってのないペンが多かったことが印象に残っています。

ロボットの操縦者はWangとAnthonyに決まりました。KenがWangとAnthonyに連携の指示、自分は相手のマシンがルール違反をしていないかのチェック、Parkに残り時間のチェックを行うことになりました。大会当日、自分として悔しかった出来事があります。それは第一試合後でした。Kenは大会のルールを忠実に守ることに強い意識があって、そのせいで第一試合が終わった後などは凄く苛立っていました。その時にかける言葉が「Change your mind.」しかなく、もっとほかにも話してKenの気持ちを知り言葉をかけたかったです。競技会では決勝トーナメントに出場するも一回戦で敗退となってしまいました。ですがPurpleチームで、ルームメイトであるWangをはじめとして、彼らと一緒に制作した経験は今後の人生の糧になると思います。

コンテスト後 コンテストにてチームメイトと撮影

4.ロボット製作とコンテストの2週間を振り返って

価値観、物の捉え方、習慣の違う外国人学生との共同制作、一緒に旅行へ出かける中で学んだことは数え切れないほどありました。前半は共通言語である英語を使ったコミュニケーションに戸惑いながら、相手のことを知ること、自分という人間を知ってもらうことの難しさを知りました。1週間が過ぎるころには考え方、性格が徐々に理解しあえたと思います。製作途中、意見がぶつかりながらも、外国人の柔軟な発想には驚かされました。また、自分に足りない要素を今回知ることができたと思います。具体的には、声を大きく話し、たくさんコミュニケーションをとることです。そのほかにも自分がやるぞと強い意志と、行動力がまだまだ自分には足りないなと感じました。今回で感じたのは遊ぶ時は思いっきり楽しみ、制作などのやるべきことをやる時はしっかりやるメリハリが大事であるということです。これはMITの学生と一緒に日曜日を過ごした中で感じたことです。

振り返ると本当にあっという間の2週間でした。2週間以上の長い時間が自分の中では流れていたように感じます。そして友達になった外国人とはずっと昔から友達だったかのように、通じ合うことができたと思います。最後の日、「今日が最後なんだ、2週間早かったなぁ」と思って初日からを振り返りながら、韓国人のParkとKimと夜話していたら、ほんとに楽しい思い出が蘇ってきて、気づいたら泣いていました。韓国人とは上野観光や、深夜のサッカー観戦、花火を一緒に見に行った思い出があったから泣いてしまったのだと思います。そのくらい密度の濃い2週間でした。将来、Facebookでのつながりを使い、旅行に行く際に、IDCチームで現地で落ち合ったりしようと話しました。Parkは「ほんとに分かれるのがさびしい」、Kimは「心で僕らはつながっている。日本を中心して参加国の心の交流ができ、日本でのIDCに来てよかった。去年はアメリカ、来年はブラジルだけど、今年の日本のIDCに参加できてよかった」と言っていました。別れの日、僕たちはまた会おうと言って別れました。

将来また彼らに会ったときに恥じない自分になろうと思います。今回は英語が拙くて話したくても上手くコミュニケーションが取れないことがあったので、英語をさらに勉強して、又会った時には色々なことを話したいと思います。

5.謝礼

今回、本学で開催するにあたり準備をして下さった学生スタッフの皆様、IDCに参加する機会を与えて下さった先生方に心から感謝致します。ありがとうございました。

青木 優人(東京電機大学 ロボット・メカトロニクス学科 4年)

今回、International Design Contestロボットコンテスト大学国際交流大会(以下、IDCロボコン)に参加させていただきました。IDCロボコンの1日目は、開会式とルール説明、チーム分け、ウェルカムパーティーが行われました。私は、シンガポール代表のジェイビア、アメリカ代表のマイケル、中国代表のユングーと私の計4人で構成されるGreenチームにくじ引きで決まりました。ウェルカムパーティーでは、色んな人にあいさつをして回ったのですが、普段聞きなれない英語である上、国によって癖のある発音、さらに早口で話す彼らを見て、正直、私は今後2週間、彼らとコミュニケーションを取っていくことができるのか不安になりました。

2日目からは、ロボット製作が始まりました。私の英語は、発音が悪いらしく、相手に伝わらない上に、相手の話は早すぎてわからないところがポロポロと...そんな時ジェイビアが、話の内容を説明してくれたり、私の話を熱心に聞いて、他のチームメイトに伝えてくれたので、なんとかIDCロボコンの始めは乗り切ることができました。しかし、自分の意見が思うように伝わらないため、悔しい思いをしました。自分以外のチームメイトはというと、全員がネイティブのマイケルと普通に会話をできるほど...初日は自分だけ会話に置いていかれるのではと、ひやひやしっぱなしでした。しかし、自分の英語に対する不安は、時間が立つにつれてなくなっていくことに。というのも、話しているうちに耳が英語に慣れたためか、相手の伝えようとしていることがわかるようになっていました。また、設計や製作などの具体的なロボットの案を出す時には、絵を描くこともしていたので、以前よりもだいぶ楽にコミュニケーションもとれるようになりました。

製作のときには、国の違いが表れていて、日本以外の国は、ロボットのアイディアや設計の段階では、現実的なことを言うため、とても慎重かと思いきや、製作に関しては大雑把で、コの字型を作っても角が丸まった状態、穴をあけるのに失敗すると、確かめずにまた穴をあけるなど、日本では考えられない製作風景でした。しかし、そんな製作方法で作ったために、アームロボットのアームの収納部分はゴムだけで展開できるようになったりもしました。 タイヤ周りは、私が担当したのですが、細かい作業にチームメイトが驚いていることがあったので、これも違いのひとつかと思います。

1日目から感じていたのですが、他の国の選手は自己主張がしっかりしていて、驚きました。また、人の考えに対する意見も考えていて、極端に言うと、“論破してでも自分が正しいことを主張する”といった感じでした。製作の始めの方は、主張で押し切られることがありましたが、後半では、自分も製作について意見できるようになっていたので、少しは、自己主張ができるようになれたかと思います。

昼食やロボット製作後の時間は、チームのメンバーや他の選手と一緒にご飯を食べたり、遊びに行ったりしました。この時に気付いたのですが、製作中は常に真剣な顔のチームメイトは、製作以外の時間は何気ない会話や冗談を言うなど、作業中には想像もできないくらい明るく、作業と遊びのメリハリがきっちりしていて驚きました。これは、自分も見習わなければいけない点だと思いました。他の学校の選手には気さくな人が多く、製作の時にはうまく話せなかったのが、製作以外の時間だとうまく話せたこともあり、楽しい時間を過ごすことができました。遊んでいるうちに、タイのグループの飲み会に呼ばれたり、シンガポールのグループから遊びの誘いを受けたりすることも多くなりました。1日だけある作業のない日には、シンガポールのグループと一緒に原宿に買い物に出かけたり、本当に楽しかったです。

タイのグループとお好み焼きにて みんなで行った回転寿司にて
タイ、シンガポールのグループと上野にて 東京湾大華火祭後
原宿にて タイに誘われた飲み会にて
アームロボット 妨害用ロボット

ロボットの製作は、途中幾度も問題が発生したものの、完成させることができました。私は、アームロボットの操縦を務めました。IDCロボコンは、始めに、3チームのリーグ戦を行った後、各リーグの上位2チームがトーナメントで優勝を決めるというルールです。Greenチームは、初戦をforestチームに大差で敗退したものの、blueチームに勝って、トーナメント戦に出場。その後トーナメントを勝ち続け、初戦で敗退したforestチームにも決勝戦で勝ち、優勝することができました。また、Greenチームは、日本語の俳句賞も取ることができたので、最高にうれしかったです。

優勝後Greenチーム

IDCロボコン大会後には、パーティーが行われ、みんなと楽しく飲んだり、お土産を交換したり、Tシャツにメッセージを書きあったり、各国の出し物もあり、とても楽しかったです。

各国の出し物とパーティーの様子
アメリカ帰国 タイ帰国

IDCロボコン後には、タイのグループ達と飲みながら、帰っていく仲間をお見送り。最終日は、シンガポールのグループと再度原宿に行き、楽しんだ後、シンガポールを見送ってIDCロボコンは終わりました。

シンガポールグループの見送り

最初は不安があるIDCロボコンでしたが、だんだん楽しくなってきて、最後には、IDCロボコンが終わるのが悲しいと思えるほどでした。また、IDCロボコンを通して、国の違いや考え方の違い、言葉の壁、これらを超えコミュニケーションを取り、製作を行うことの大変さと楽しさを知ることができました。

最後に。

IDCロボコンでは、多くの貴重な体験をさせて頂くことができました。IDCロボコンを開催・運営するにあたって、尽力してくださった皆様、誠にありがとうございました。

堤 祐太(東京電機大学 ロボット・メカトロニクス学科 4年)

IDC2012の開始前,英語への不安がとても大きかったのを今でも覚えています。今まで英語の勉強を極力避けてきたので,英語で話せる自信もなければ英語を聞き取れる自信もありませんでした。英単語の記憶と魔法のリスニングを,IDC2012に向けての対策としました。

期待と不安を胸にIDC2012が始まりました。チームメイトとの顔合わせ・自己紹介では名前と出身国しか聞き取れず,ロボットの構想案を英語で伝えることができず,製作時間外のミーティングではロボットの話をしているのか世間話をしているのかもわからない状態でした。これが2週間続くのかと思った時の絶望的な気持ちは,きっと忘れることはないと思います。

しかし,ゆっくりでも文法は間違っていても伝えようと話しかければ,チームメイトは皆理解しようとしてくれ,チームメイトの優しさをとても感じました。その中で徐々にどう表現したら伝わりやすいのか,相手は何を伝えようとしているのかが分かってくるようになり,外国の人と一緒に過ごす時間が楽しいと思えるものになっていきました。

設計・製作の時間は皆真剣でロボットのことだけを考えていました。しかし,放課後は必ず東京観光で,東京タワーや秋葉原,原宿などを巡り日本のお店や食べ物の話,日本と外国の文化の違いなど,それぞれの文化や考え方について触れることができました。夜にはタイ出身のチームメイトに誘われ,タイ選抜メンバーと一緒に部屋で小さなパーティーを行うなど,楽しい日々を送ることができました。

ロボットの設計・製作では皆で作戦を考え,作戦に合わせたロボットの設計案を出し合いました。ロボットのアームの重量や長さ,車輪の摩擦,機体の大きさなど設計上の問題点は多くあったものの,その問題点をうまく指摘することができなかったり,解決案について自分の考えをうまく伝えられなかったりと悔しい場面もありました。コンテストが開催し試合開始ぎりぎりになってもロボットの調整を行っていました。結局,皆のアイディアが詰まったロボットは試合の中で1点も得点することができず,予選敗退となってしまいました。

競技会は残念な結果で終わってしまいましたが,今回のテーマ「俳句マスター」のサブテーマである俳句作りでは,チーム皆で考えた英語の俳句で英語俳句賞をもらうことができました。

今回IDC2012に参加することができて,外国の人とロボットを設計・製作するという貴重な経験をすることができました。俳句賞もいただくことができ,友達と過ごした日々とこの経験は私の一生の思い出になりました。

和田 宗一郎(東京電機大学 ロボット・メカトロニクス学科 4年)

1.はじめに

International Design Contest 2012(以下IDC)に参加した本大学の学生は8人で,そのうちの半数である4人が私の所属する未来科学部ロボット・メカトロニクス学科知能機械システム研究室(中村研究室)のメンバーでした。私の場合,普段の生活で隣に座って研究をしているメンバーと一緒に海外の学生方を迎え,日本を案内する形となり,大変スムーズに行動できた機会となりました。

IDCへ参加するためには,まず,参加する学生を選考するための全学選考会で選ばれる必要がありました。この全学選考会は,本大学の各学部学科の教授陣の前で英語によるプレゼンテーションを行い,応募動機を説明するものでした。一緒に選考会を受験した中村研究室のメンバーとは,互いに選考会へ向けた発表練習を行い,良い刺激を与えながら切磋琢磨し成長することができ,より絆を深めることができた経験となりました。

2.IDC前日

IDCは8月6日から開催だったので,8月5日19時にチェックインのためホテルに集合しました。荷物を部屋に置いて,ホテル1階のロビーへ向かうと,ブラジルから来たGabriel (Gabriel Bustamante Ferrada Silva)がいました。Gabrielによると,他のブラジルメンバーは長旅で疲れて休んでいるらしいのですが,Gabrielは日本人メンバーとお話がしたいらしく,一緒にホテル近くのレストランへ行き夕食を食べながら,お互いの国や文化について話しました。このとき,英語を用いた会話を行ったことで,IDCが世界大会であることを改めて実感致しました。

3.IDCの始まり

IDC初日のオリエンテーションで,競技会の内容説明とチーム分けのための籤引きが行われました。1チームは4人~5人で構成されます。私はSKYBLUEチームに配属されました。SKYBLUEチームは,アメリカから参加したKawin (Kawin SURAKITBOVORN),シンガポールから参加したAMOS (Chia Zong Hong AMOS),タイから参加したMad (Umad HEEMPOHMO),中国から参加したChaohao (Chaohao LU)の5人で構成されました。

チームメンバーと顔合わせをし,自己紹介を行いました。そして,直ぐに各自が競技会の内容説明を聞いて,思い浮かんだマシンシステムに関するブレインストーミングに取りかかりました。本大会は2台のマシンを製作し,それら2台のマシン動作を組み合わせることでシステムを構築します。2台のマシンの組み合わせ方法が競技会を有利へと進める重要な鍵となります。

集合写真

4.マシンシステム設計

マシンやシステムの設計に関する意思疎通は主に,ホワイトボードやノートに図を描くことで伝えました。まず,マシンの略図やギミックを描き,視覚的に理解しやすい状況にした上で,口頭で英語を用いた補足説明を行いました。この方法が自分の意思や発想をチームメイトに伝え易かったです。シンガポールから参加したAMOSは中国語を話すことができるため,中国から参加したChaohaoと中国語で会話することができます。アメリカから参加したKawinはタイ出身であるため,タイから参加したMadとタイ語で話すことができます。つまり,私以外のメンバーは英語以外に他の言語を用いた意思疎通が可能でした。英語でしか会話をすることができない私は,難しい表現をチームメイトに伝えることが困難であったため苦労しました。

ブレインストーミングによって,まとまったマシンシステムの結果を報告します。競技開始時にセンターエリアからスタートするマシン(以下1号機)が,競技開始直後にアームを伸ばし,金のオブジェクトを川へ落とします。そして,競技開始時にアウトサイドエリアからスタートするマシン(以下2号機)が,川へ侵入して落とされた金のオブジェクトを掬い上げ,金のオブジェクト運びながら再度アウトサイドエリアを通過し,得点となる壁面へ金のオブジェクトを貼り付けます。このシナリオが実現できるようにマシンの設計を行いました。

5.マシン設計・製作

マシン設計の初めは,チーム戦略の重要な要となる金のオブジェクトを川へ落とすための1号機のアームの長さに話題が集中しました。公開されている競技ステージの寸法は,誤差が大きく実際とは異なるものでした。そのため,自分たちで実際に寸法を計測し,私がCADを用いて競技ステージの正確な寸法図面を作成しました。この図面を基に,1号機のおおよそのアームの長さが定まったところで,製作に時間のかかる2号機の設計・製作に取りかかりました。チームの方針としては,初めに2号機を完成させ,完成した2号機の具合を考慮して,1号機の具体的なマシン構想を設計することになりました。

本大会のマシン製作は,本大学のワークショップ室で行われたため,スタッフのほとんどは,本大学の学生アシスタントでした。そのため,チームメイトには複雑な加工方法が可能であるかなど,学生アシスタントの方々や先生に聞いてほしいと,何度か頼まれました。本大学の学生がチームメイトにいたチームは少し有利だったと思います。マシン製作は大きな問題もなく順調に進み,競技会の3日前には2台のマシンの仮完成を迎えることができました。マシンが仮完成してからは,マシンアームの速度調整やマシンの余分な部分の切断などを行い競技会に備えました。

仮完成(1号機) 仮完成(2号機)

競技会へ向けたマシンの調整を行っているときに,他チームが2号機を妨害する可能性を考慮すべきだという話題が出ました。競技フィールドに設置してあるオブジェクトは,配置上は赤サイドと青サイドに分かれていますが,所有権はどちらのチームも所持していないため,敵のエリアへ侵入してオブジェクトを運んでくることが可能です。我がSKYBLUEチームの作戦では,金のオブジェクトを川へ落とします。落とした金のオブジェクトの所有権は所持していないため,2号機が川へ侵入した後に,敵チームのマシンが川の入り口で待機し,2号機を妨害する可能性があったのです。そのたため,敵マシンが2号機を妨害することを防止するための対策に関して,ブレインストーミングを行いました。ブレインストーミングの結果,敵マシンがSKYBLUEチーム側のエリアへ侵入できないように,1号機に別のアームを取り付けることになりました。競技会のルールでは,敵マシンへの故意的な接触は禁じられています。しかし,「オブジェクトを取りに行く」という名目であれば,敵マシンは2号機のアームを押しのけて我がチームのサイド(SKYBLUEチーム側のエリア)へ侵入することが可能になります。 仮に,敵マシンが2号機のアームに体当たりをした場合,2号機のアームが破損する場合があります。アームが破損して,使用不可能になってしまった場合,次の競技に影響が出ます。この問題が,IDCにおける我がSKYBLUEチームの最大の問題となりました。

競技会当日は,基本的にマシンの部品を修理するような加工は認められていません。つまり,競技中にマシンの部品が破損した場合,修復不可能であれば次の競技で,破損したマシンの部品を使用することができなくなります。そのため,代替処置を行うことができないので,競技会の前半でマシンの部品が破損した場合の影響は重大なものになります。この問題に関して,競技会前日に,競技のルールを決めた先生方と長い時間議論をしました。議論の論点は,『「故意的な接触」と「オブジェクトを取りにいくための接触」の境界線はどう定まっているか』です。この議論は,競技会当日も続きました。結果的に,境界線の判断はジャッジを下す審判に委ねられることになりました。

6.競技会

競技会は初めに,3チーム毎のリーグ戦を行い,そのリーグ内の上位2チームが決勝トーナメントへ進出することができます。初戦はYELLOWチームと当り,6‐0で勝利しました。続く2回戦はORANGEチームと当り,競技開始後約1分で金のオブジェクトを3つ貼り付け勝利しました。我がSKYBLUEチームはリーグ順位1位となり,決勝トーナメントへの進出が決定しました。決勝トーナメント準々決勝では,PURPLEチームと当り,競技開始後38秒で金のオブジェクトを3つ貼り付け勝利しました。決勝トーナメント準決勝では,GREENチームと当り,GREENチームの小型マシンが1号機のアームの下をすり抜け,SKYBLUEチーム側のエリアへ侵入してきました。マシンがアームの下をすり抜けてくることは盲点でした。そして,川から出ようとていた2号機の進行が妨害されました。GREENチームの小型マシンを押しのけ,川から出ようとしましたが,その間に競技時間が終了し,我がSKYBLUEチームは準決勝敗退となりました。しかし,我がSKYBLUEチームはIDCのメインテーマである「マシンのシステムデザイン」が高く評価され,International Design Contest 2012の最優秀賞である「Creative Design Award」を受賞することができました。この賞を受賞することができて非常に嬉しかったです。

競技会ステージ Creative Design Awardトロフィー

7.作業終了後

毎日,設計・製作などの作業は17時までで終わりになります。17時以降は自由時間となり,海外の学生に東京案内をしました。僕は,基本的にはシンガポールから兄妹でIDCに参加していた兄のWen JIE (Chan Wen JIE)と妹のWen XIA (Chan Wen XIA),そして韓国から参加していたKO 君(Young-chang KO)と仲良くなり,自由時間はほとんど一緒に行動していました。

東京の有名なスポットを中心に,原宿や上野,池袋,渋谷などを案内しました。東京湾の花火大会を観にお台場へも行きました。東京スカイツリーも昇りました。

渋谷スターバックスコーヒーにて
東京スカイツリー入場チケット 東京スカイツリー

海外の学生に何を食べたいか聞いたところ「お腹一杯お寿司が食べたい!」ということで,回転寿司にも行きました。毎日毎日色々な場所へ行きとても楽しい日々を過ごすことができました。

回転寿司にて
浅草雷門 お台場にて

8.IDCが終了して

IDCを通して,世界各国の方々と友達になることができました。初めは,英語によるコミュニケーションがなかなか難しかったのですが,時間が経過するにつれ,相手に理解してもらいやすい英語の話し方のコツが解ってきました。IDCは本当に楽しく興味深い,忘れることができない大切な経験になりました。

9.最後に

最後に,素晴らしい機会を提供して下さった畠山先生・釜道先生,全日の全てのスケジュールをサポートして下さった山北先生,ワークショップや競技会をサポートして下さった先生方,IDC全体をサポートして下さった学生アシスタントの方々に心から感謝致します。

柳田 岳瑠(東京電機大学 ロボット・メカトロニクス学科 4年)

2週間,IDCを通して感じたことはとても多く,大変良い体験となりました。海外の人たちと技術面でのコミュニケーション,およびアフターワークの東京観光でのコミュニケーションを通して海外の人の考え方,技術面でのアプローチの仕方,日本・東京にどのような興味・関心を持っているかを感じることができました。

IDCロボコンで私は中国,タイ,ブラジルから来た学生と4人のチームとなりました。コミュニケーションは当たり前のように英語で始まり,結構ドキドキしましたがある程度聞きとることができ,また自分からも稚拙ながら英語を使って会話をすることができました。英語で会話をすることが初めてでしたが,いざ会話をしてみると相手が自分が英語が苦手なのを分かってくれて補完をしてくれたり,ニュアンスを読み取ってもらえて情報を伝達できたと思います

今年のIDCロボコンのルールはオブジェクトを壁に貼り付けることで得点を得るゲームでした。そこでチームメイトとどのような方法でオブジェクトを壁につけるか,また戦略をどうするかをディスカッションしました。しかし,これがなかなか大変で意見が大きく分かれてしまいました。初日から3日間は主にディスカッションを行ったのですが,ある人が案を出すと最初は納得しつつ結局決定までに行かずに意見が対立してしまい流れてしまう,ということが何度も繰り返されてしまいました。チームでは主にタイとブラジルの人が案を出し,お互いに衝突し合っていました。私は二人の意見を聞いてアイデアの良いところ,悪いところを自分なりに考えてチームメイトに伝えるように努力したのですが何分英語での説得力がなく,良いアイデアであっても流れてしまうことになってしまいました。結局,マシンを作らなければ何も分からないといった感じにまとまり,お互いの最良のアイデアでいったんマシンを作成することになりました。

マシンを作成することとなったのですが,そこで驚いたことがチームメイト誰一人と図面を書かなかったことです。スケッチはたくさん書いたのですが,いざスケッチのものを製作するときは図面に起こさず,スケッチに記入した寸法とアバウトな寸法を元に罫書きを行い,そのまま加工してしまいました。せっかくソリッドワークスというCADを持っているにも関わらずにです。私は高等専門学校に通っていたためCAD→設計図→加工という工程を何度も行ってきた経験があり,今回もその工程をたどるのだろうと思っていたためかなり衝撃的でした。他のチームの様子は見てませんでしたが,ここで日本と外国とのものづくりの取り組み方の違いを感じました。そんな状態でもなんとかテストマシンは完成して動作させることができました。しかし,至る所に誤差が生じており私はその誤差を修正するような加工を行っていました。

プレコンテストまでに2台のマシンをなんとか完成させることができ,意外にもプレコンテストで大量の得点を挙げることができました。対立したり色々あったりしたが,最終的にはチームがまとまってマシンを製作することができました。

コンテストは予選リーグを勝ち上がり,決勝トーナメントまで行くことができました。優勝することはできませんでしたが,最後にはチームのみんなと良いゲームだったと言いあえたのでよかったと思います。

IDCロボコンではロボットを作るだけでなく,アフターワークに様々な国の人たちと東京観光を行いました。ロボット製作と観光ではどちらかといえば観光の方が楽しかったです。

私は主にタイ,シンガポール,ブラジル,アメリカの人たちと東京観光をしました。その日の作業が終わった後にみんなでどこに行きたいかを聞いて,そこへ一緒についていき観光したり案内したり,外国人の質問に答えたりしました。観光中や移動中にもみんなで自国のことや日本について,またはホビー,カルチャーなどについて話し合い,普段友達と会話をするようにコミュニケーションが取れたのでとても楽しかったです。国ごとに観光のスタイルや観光したい場所に違いがあり,その国らしさを少し感じることができました。また,日本では常識だと考えていることでも外国では違うことが結構あり,一緒に観光する中でそのことについて話してくれるのでそれも良い発見となりました。あと,やはり渋谷や原宿といった場所が人気でした。秋葉原も結構人気で連れていくとメイドやアニメの大きな看板,電化製品に興味を持っていました。

IDC期間中の日曜日にお台場付近で花火大会があったため会場付近に場所取りをしてみんなと花火観賞をしました。会場からは少し離れてしまっていたため多少見づらかったですが大型の打ち上げ花火はしっかりと見ることができたため楽しめました。大会終了後に外国の人たちが喜んでいるように見れたので良かったです。大会終了後みんなでクラブに行こうという話になったのですが終電がなかったため断念してしまいました。その代わりみんなでスーパで夜ごはんとビールを買ってゲームをしながら盛り上がりました。

シンガポールの人たちは用事があったためみんなと打ち上げ花火を見ることができなかったため,日本人がお金を出し合って手持ち花火や打ち上げ花火を買って荒川の河川敷でシンガポールの人たちと花火をすることにしました。アメリカの人も加わってみんなで川に移動して花火を行いました。予想外にみんな花火に喜んでもらえてとてもよかったです。

IDCの目的として“様々な国の人とコミュニケーションをとる”とのことでしたが,振り返ってみてその目的は達成できたと思います。ロボット製作ではぶつかり合うことが多く,疲れてしまうことも多々ありましたが終わってみれば,ロボットを作り上げるという目的に向かって最終的には団結してロボットを作り上げることができました。それはコミュニケーションをとり,相手の意見や主張をとらえて,自分の意見を合わせて相手に伝えることができたからだと思います。アフターワークでは日常での友達のように会話をして情報の交換が行えて良いコミュニケーションがとれたと思います。

IDCの初日を終えてホテルに帰った時はつらすぎて一日が一週間のように感じましたが,最終日あたりではみんなとコミュニケーションをとることが楽しく一日がすごく短く感じるようになりました。IDCを行って日常では体験しにくいことを多く体験し,外国の友達をたくさん作ることができました。IDCをやってよかったと思います。

永澤 拓(東京電機大学 電気電子工学科 4年)

IDCロボコンの話が私の所に来るまでは、ロボコンといえばテレビの向こう側の事でしたが、今回はなんと参加できるかもしれない、しかも外国人と交流できるという事で、これは面白そうだ!と、選考に参加してみることにしました。そして、選考の結果は嬉しくも採用という事で、ロボコンが始まるまでは英語の勉強をしたり、日本の出場者で話し合ったりして準備を進め、本番を迎えました。

そして大会初日、出場者達はホールに集められて顔合わせとなりました。競技説明の場面ではコミカルなCGで笑いが起たりと、意外と和気あいあいとした雰囲気でした。しかし、くじでのチーム決め発表の時は緊張した空気が漂って言いました。

私のチームはフランスからのレミ、中国からのザオ、シンガポールからのチャン、そして私のフォレストチームとなりました。レミはネットワーク系のプログラマーで、19歳と若いながらもドイツに自分のサーバーを持って管理しているそうです。最近のティーンエイジャーといった雰囲気で、気も効く一方コミカルな面もある良い奴でした。ザオはメカ系の学生で、3DCADを使いこなしており、彼のおかげで設計はかなりスムーズに進みました。仕事とプライベートは分けるタイプなのか、ワークショップルームでは真剣そのものでしたが、休憩している時では若干抜けている雰囲気で良い奴でした。意外と普通にミニ四駆やガンダムの話ができて、同級生と話している感覚でした。チャンは建築科で、模型等を作っているらしく、プラ板の扱いが上手でした。また、唯一のネイティブでした。女の子でしたが、とてもサバサバしていて、姉と話しているような感じでした。気が利くし、冗談も面白いし、彼女のおかげでチームの雰囲気もかなり良くなったと思います。

また、私は回路系の学生なのですが、普段の工作ではギターアンプやマイコンを主に弄っています。今回は残念ながら組み込み済ということで出番はありませんでしたが、加工や操作では結構健闘できたのではないかと思います。顔合わせの後、すぐワークショップ室に行き、早速方針を決めていったのですが、なんとなく、レミとタオをリーダーのようにして、それにチャンと私が口出しをする、という形で進める形になりました。

まず決まった方針としては、一台は長いアームを持ったロボット、もう一台は板バネを利用して球を投げるロボットにする事にしました。この方針は最後まで一貫でき、製作をスムーズに行えました。方針も決まり、一日目は旅の疲れもあるということで、定時上がりでホテルに向かいました。チェックインを済ませ、私も疲れていたので、すぐに寝てしまいました。

二日目は、なんとタオが案を3DCADにしてくれていたので、これを改良して案を完成させることにしました。昼休みまでには実現できそうな形まで決定したので、ゆっくりお昼ご飯を食べに行くことになりました。昼ごはんは土地勘もあるということで、私が決めていたのですが、皆好き嫌いせずに何でも食べてくれ、かなり助かりました。他のチームでは、お昼ご飯は結構厄介な問題だったようです。取りあえず一日目は行きつけの豚カツ屋、松ノ野に行くことにしまいた。幸い空いており、翻訳しつつ食券を購入し、無事豚カツを食べることができました。ここではじめてゆっくり話す事ができ、お互いの環境や出場の経緯等、少しお堅い話題ではありましたが、打ち解けることができたと思います。IDCでは、昼休みはチームメイトとゆっくり話したり、一緒にゲームをしたりできる時間として貴重なものでした。

午後は早速製作ということで、取りあえず絶対必要な車輪を製作すること、アームのロボットを先に製作する事を決めました。車輪はビニールパイプと木の板から製作しなければならないのですが、他のチームもここで結構苦戦していたように思います。初めての共同作業ということで、多少人員オーバーではありましたが、皆で車輪を製作しました。まず、私たちのチームは2cmに切ったパイプに、内径サイズに切った木をはめ込む事にしました。木板の加工は、バンドソウを使えるということ、円を切るが若干難しいので、私とチャンが請け負うことになりました。なかなか上手くできたのではないかと思います。一方、レミとザオはシャフトへのジョイントを案から製作していました。私が木を切り終る頃には案が固まったようで、車輪をホットボンドで圧着してから寸法を取って、ここまでで二日目は終わってしまいましたが、連携はなかなかスムーズだったように思えます。

三日目からの作業は少しダイジェストで、主に放課後の話をしたいと思います。三日目は車輪の続きと、簡単な土台も製作しました。そこで車輪の走行試験をしたのですが、どうしてもシャフトのジョイントが外れてしまうというトラブルがありました。精度が必要なようで、困り果てていたのですが、探してみるとモーターにジョイント付属しており、これを採用することで解決しました。

さて、放課後の事なのですが、レミが秋葉に行きたいという事で、レミの友人ジョンと一緒に秋葉観光に出かけることになりました。彼は少し変わり者で、喋るのを止めません。しかも英語です。IDCが終わるころにはちょっとした有名人になっていました。彼もレミと同じくネットワーク系の学生だったので、秋葉原のジャンク街に連れて行くことにしました。ジャンクPCショップを見た彼らは真っ先に飛び込んで行き、とても連れてきたかいがありまいた。その後、アニメフィギュアショップや、隠れたお店等に連れて行き、また、モスバーガーにも連れて行きました。ジョンは、「フランスの味がする」といってとても気に入ってくれたようです。それから彼らは毎日秋葉に行っていました。

また、五日目の放課後は、アメリカ、タイ、シンガポールの30人ほどでお寿司を食べに行きました。予約を取るのが上手く行かず、しかも皆割と自由に行動するので大変でしたが、なんとか無事にお寿司を食べることができました。ここで、シンガポールのショーンとタイのジョーと仲良くなりました。ここで仲良くなったメンバーとは色々な所に観光したり、楽器でセッションしたり、最後の方では毎晩パーティーを開く仲になっていました。ジョンともですが、今でもFACEBOOKや郵便で交流を続けています。ここでパーティーとは何なのかという事なのですが、最初はタイの人たちが毎晩集まってトランプ等をしていたのですが、途中からショーンやチャンや他の日本人選手等、日を追うにつれだんだん人が増えてきて、最終的にはほとんどの国の人がいるパーティーとなっていました。タイの人達はとにかく騒ぐのが好きで、毎晩ギターを弾きながら歌って笑ってと、ある意味カルチャーショックを受けてしまいましたが、とても愉快で楽しいひと時でした。

話は製作の方に戻りますが、私たちのチームは仲も連携も良く、かなり早く製作を進めることができ、ロボットの改良や練習に多くの時間を割くことができました。ロボットの操作は、投擲ロボットをザオ、アームロボットを私が担当することになりました。大会の本番では、練習の成果もあり2位という結果、また、足立区長賞という会場の皆さんに頂いた賞も頂くことができました。1位のブルーチームとは作戦負けしてしまった感がありましたが、何よりこのチームで楽しめたので、悔いはありませんでした。

このように、昼は製作を、夜は交流をして、毎日本当に充実していました。この大会が終わってなんだか学生生活が味気なく思えてしまうほどです。しかし、今後も自分の技術と言語力を磨いてゆきたいという気持ちがとても強くなりました。

このような、貴重な経験を与えてくだり、支援してくださった協賛の方々、先生方、IDCロボコンに参加するにあたって協力してくださった方々全員に心からお礼を申し上げて報告書を終わりとさせていただきます。

本当にありがとうございました。

川口 碧(東京電機大学 ロボット・メカトロニクス学科 3年)

・IDC参加に至って

参加したきっかけとしてはロボコンというものに興味があったことが大きいですが、学校全体の国際交流の機会の少なさに物足りなさを感じていたこともあり、参加を希望しました。今回は開催地が本大学ということで、海外に行けないなら今年は見送るという声もありました。私は逆に日本でやるからこそ、ガイドブックに載らないような日本の楽しい部分を観光案内できて楽しいのではないかと思いました。

・初日

IDC期間中に宿泊施設として利用したのは、浅草に位置する東横INNホテル。わがままを言ってはいけませんが、設備はとてもシンプルでした。といってもIDC期間中は本当に帰って寝るだけだったので、文句はないです。背の高いブラジル人の友人は狭い、シャビーだとこぼしていましたが。

初日は開会式から始まり、大会のルール説明を受け、その後グループ分けを行いました。私はレッドチームで、ブラジル、韓国、中国、シンガポール、日本からの学生5名によるアジア色強いチームとなりました(以下の写真参照)。一般的にチーム内の会話は英語ですが、中国学生とシンガポール学生が北京語で会話したり、韓国学生と私が日本語で会話したりしていました。初日は旅疲れか、ホテルに戻って休む人が多かったです。また2日目に、チーム毎でロボットデザインの概要、試合での戦略のプレゼンテーションを先生方の前でする必要があったため、ホテルラウンジにチームで集まって話し合っているグループもありました。

・ロボット製作過程

3日目からは、ロボットのデザインをもう決めて、さっそく製作に取りかかっているグループもありました。私たちの班はやや時間がかかり、結局3日目になってもロボットデザインが細部まで決まりませんでした。とはいえ、時間がないしWSルームにいる時間がもったいないのでとりあえず作業をしようということで、どの道必要となる、タイヤの基礎の部分などの製作を進めつつ、デザインの細部を決めていこうということになりました。

トラブルも多くありました。本大会では2台のロボットを製作する必要があり、私たちは2台のロボットがボールを受け渡す想定でデザインを決め、製作にとりかかっていました。1台目のロボットと2台目のロボットの製作を並行して進めるために、3人と2人で分かれてそれぞれのロボットにとりかかっていたのですが、これが食い違いを生むことになりました。私は2台目のロボットの製作をしていましたが、まず、1台目のロボットのデザインをチームメイトが、得点能力がないからと他の機構に変更。しかしその頃には、2号機はほぼ完成状態。材料も使い切ってしまった今となっては大幅に機構を変えることはできません。仕方がないので、2号機は相手側のボールを落とすためだけに使うという計画に無理やり変更しました。さらに1号機が完成したのは大会前日。調整する暇もなく、バタバタでした。

・放課後

作業は午後5時に終わるので、そのあとはお待ちかねの自由時間。日本が初めてという学生は多く、東京観光をそれぞれで楽しんでいたように思います。私たちはホストとして、彼らが行きたいというところにつきっきりでした。2日目は韓国、ブラジルの生徒と一緒に秋葉原へ行きましたが、日本人生徒が数人いた上、彼らのやりたいことがそれぞれ違うので、いつしか行動グルーブが2分化していました。韓国側についた私は、彼らのお目当てのメイドカフェへ。大いに盛り上がり、夕食は海鮮丼(以下写真)。見てお気づきの人もいるかと思いますが、彼らは堂々とWSルームの時間と服装変わらずこの格好(IDCTシャツ)。面倒なのが第一の理由ですが、お揃いのTシャツを着ると仲間意識が強くなるような気がしました。さらに、目立つから街中での迷子防止にも役に立ちました。

・大会当日

ロボコン自体はトーナメント制であるがゆえ、負けて先に進出できなくなるチームが増えてくる頃になると、脱落チームは生徒が控える部屋に設置された中継モニターを囲んで早くも観戦モード。私のチームは2回戦敗退でしたが、同じチームメイトは「ロボコンって観戦するほうが面白いじゃないか!」と歓声をあげながらお気に入りのチームを応援していました。負けてしまったときは少し悔しかったですが、チーム毎の壁のない交流関係があったためか、トロフィーを持たせてもらったりして他のチームの受賞を一緒に喜べました。一般的なロボコンと違う点があるとすれば、1つは、新しい仲間とロボットを作り、かつプライベートではチームの分けへだてなく接して密な時間を過ごせること。2つ目は、その仲間が世界各国からの仲間であることだと思います。これらは結果的に外部からの刺激を受けるいい経験となると思います。

・IDCを終えて

英語が苦手だから、という人が多くいます。しかし終わってみて思うことは、中学レベルの英語で基本的な会話は十分できるということです。私自信、最後は伝わればよいと文法は無視してとにかくしゃべっていました。苦労したことは、訛りです。英語にして文章にされたら何いっているかわかるのに、イントネーションが聞き取りにくくて何を言っているのかわからない。何度か言ってもらって、ああ、この単語を言っていたんだ、と気付く。シンガポールの友人は英単語を略して呼ぶので、一瞬知っている英単語とつながらない。韓国のチームメイトは、音を区切らず発音するので聞き取りにくい。英国に行ったという中国の友人の英語は、ブリティッシュ訛りなのか、とにかく聞き取れない。これはもはや英語のレベルではなく、どれだけ耳を慣れさせるかだと思いました。

英語が苦手で、この大会への参加を躊躇している人はもったいないと思います。中学レベルの英語がまずしっかりできていれば、伝えるのに困ることは殆どないです。せっかくロボメカに来たのだから、と思って是非チャレンジしてみてください。最後に、この場を借りてIDCロボコンを支えてくださった全ての皆さまに感謝とお礼を申し上げます。

熊谷 翔(東京電機大学 ロボット・メカトロニクス学科 3年)

私は小学生の頃、よくTV等で放送されているロボコンを見て、将来はロボコンに出場してみたいと思っていました。本校に入学してから、IDCロボコンの存在を知りましたが、限られた生徒しか出場する事が出来ない事を知り、私が出場する事は難しいと思い込んでいました。今回も最初は、IDC出場のための学内選考会へ参加しても無理だろうと思い、応募さえしていませんでした。しかし、先生方に勧めて頂き、話を聞いていく中で選考会だけでも挑戦してみようと思える決心がつき、選考会への参加を決めました。選考会への応募をしてからは、IDCへの出場意欲が増し、選考会に参加するからにはIDCへの出場を勝ち取ろうという思いで英語のプレゼンテーションに挑みました。先生方の前でプレゼンテーションを行う機会は今までなかったので、選考会ひとつとってみても貴重な経験をさせて頂いたと思っています。

選考により、IDC2012への出場が決まった時は嬉しかったですが、私は英語がとても苦手な事に加えて、まだ3年生の私の技術でチームに貢献出来るのかという不安でIDCへの出場がとても心配になりました。その不安を少しでも緩和出来るように、IDC開催までに行われた英語の勉強会では積極的に取り組みました。技術面では、もう一度、加工機の使用方法を身に付けておこうと思い、先輩に指導をして頂きました。先輩は自分の技術に不安を持っている私に、日本人は丁寧だから自分が思っている以上に加工技術で貢献する事が出来るから大丈夫と言って下さったので、希望が湧きました。

私は以前に、1ヵ月間、シドニー大学での語学研修に参加するため、オーストラリアにホームステイをした事がありました。最初の1週間程は英語によるコミュニケーションが思うように取れず、現地の方と関わる事が出来ませんでした。研修が終わってから、もっと最初から積極的に関わろうとすれば良かったと後悔しました。その経験もあり、今回のIDCでは2週間という限られた短い期間を最大限に活用するために最初から全力で外国の方とコミュニケーションを取ろうと決めていました。

IDC開催の前日、ホテルに出場者の方々がいるのを見かけた時、IDCは明日からだからと話掛けるのを躊躇しましたが、上記の決意の下、話掛けました。韓国人のチームでしたが、とても親切で、私の拙い英語を一生懸命に聞いて下さった事が最初の外人の方とのコミュニケーションとして印象に残っています。

IDC開催前日での初英会話 (ホテルのロビーにて) 私が所属したオレンジチーム

翌日からIDCは開催され、私はオレンジチームに配属が決まりました。初日の午後からは本大会のルールに従って、マシンの案を出し合い、設計をし始めました。発言する機会は何度かは得たものの、自分の考えをチームのメンバーに全く伝える事が出来ませんでした。日常英会話と今大会の様な技術的な英会話の違いを実感し、自分の考えを正確に相手に伝えるという事の難しさを痛感しました。最初のマシンの構想における話合いは、ホテルに戻ってからも続きましたが、私は正直、参加したとは言えないくらいの状況だったと感じていました。

ホテルでのミーティング

開催されてからの3日間くらいは、積極的に発言したものの、私が参加している意味が全く分からない程に、チームとのコミュニケーションが上手く出来ずにとても辛い時間が過ぎました。しかし、このまま2週間を過ごす訳にはいかないと思い、取り敢えずは技術以外の面で上手くコミュニケーションを取ろうと心掛け、昼休みやワークショップ後の観光の際に積極的に話し掛けました。その結果、全員の英語を理解するまでは成長しませんでしたが、一緒に観光した人などの限られた英語を少しずつ理解する事が出来る様になりました。その後は、チームでの話合いで自分の考えが全員に伝わらない際に、観光などで会話が理解出来る様になったチームの一人に考えを伝え、それを全員に伝えてもらうというコミュニケーションの方法を取りました。この方法により、少なくとも最初よりは、チームに私の考えが伝わる様になったと感じています。

チームメンバーとの初めての外食

英語のコミュニケーションの難しさを感じるとと共に、チームのメンバーの技術的なレベルの高さも実感しました。マシンの案が出るのに平行して、CADを用いてイメージを作成する速さには特に驚かされました。私がチームに貢献する事はやはり難しい事なのだと思わされる程のレベルの差を見せつけられました。材料の加工が始まってからは、日本人のスタッフが多くのサポートをして下さった事もあり、材料の加工を任される様になり、私は加工技術の面でチームに貢献出来たと思っています。モノづくりの経験が本校のワークショップのみという私にとっては自信を持って出来るという加工技術はありませんでしたが、何かでチームに貢献したいという思いから、その私はその加工を出来ると言い切り、最初の加工をやらせて貰いました。チームのメンバーは最初、信用していなかったと思いますが、加工したモノを見せると信頼してくれて、その後から加工に関する質問もしてくれる様になりました。出来ると言い切る事はとても恐かったですが、開催国が日本という環境を活かして、スタッフにアドバイスを求め、実践していく事で技術的な信頼を得る事が出来ました。加工が始まってからは、チームの作業に関われる様になったという事もあり、とても楽しく本ワークショップを過ごす事が出来ました。

ワークショップ中

2週間、ワークショップの後には毎日、チームに関係なく、上野や原宿等へ観光しに行きました。私は主にタイのチームの方と行動する事が多かったですが、ワークショップとは違った英語のコミュニケーションの経験を多く得る事が出来て良かったと思っています。オレンジチーム以外の外国の方々とも交流を持つ機会となったので楽しかったです。

タイチームと原宿を観光 中国、シンガポール、フランス人との食事

コンテストでは、残念ながら結果を残す事は出来ませんでしたが、この2週間で得られた経験は滅多に与えらる機会ではないものであると感じています。2週間という短い期間ではありましたが、国や人種に関係なく多くの友人を作る事が出来、深く交流する事が出来たと思っています。IDC2012に参加する事が出来て、モノづくりに関してだけでなく、多くの経験をさせて頂く事が出来て良かったです。これから、エンジニアを目指していく中で、今回の経験を最大限に活かして、物事に取り組んで、成長していきます。

本大会の様な貴重な経験を得る事が出来たIDCロボコン2012に参加する機会を与えて下さった先生方並びに協賛企業・団体の方々、開催するに当たり支援をして下さった皆様に心から深く感謝を致します。

最終日コンテスト終了後