参加学生報告レポート
神戸威人 (未来科学部 ロボット・メカトロニクス学科 4年)
IDCロボコンへの参加が決まり、私は様々な国の人とコミュニケーションがとれるということに大きな期待を抱きました。それと同時に、はたして向こうでやっていけるのかという不安を感じました。当然、事前に英会話の勉強はしましたが、正直なところ出発直前まで、行きの飛行機の中でも、これで大丈夫だろうか、と考えていました。
そんな中現地に到着し、チームメイトと顔を合わせると、予想通りというか、やはり上手くコミュニケーションをとることはできませんでした。ロボットの製作を開始してからもそれは同様で、自分の意思は何とか伝えることはできましたが、相手の意思を完全に汲むことができず、悔しい思いもしました。
ロボットの製作を行っている中で、国によって機器の使用法、設計の際の寸法の取り方一つをとっても日本人とは大きな違いがあることにとても驚きました。ここだけの話、何をやるにしても、色々なことが大胆でした。
ようやく英語にも慣れてきたかなという頃、ロボットは無事完成しました。競技会前日には動作確認も終わり、あとは本番を迎えるだけでした。そして競技会本番、私たちのチームのロボットにはトラブルが発生してしまい、初戦で敗退してしまいました。
しかし、競技会が終わった後、私たちのチームは、製作した車型ロボットの移動機構や、アームロボットの機構が評価され、優れた発想とデザインをしたチームに贈られるIDC Creativity Awardという賞を頂くことができました。
私はIDCロボコンに参加したことで、様々な国の学生と話をし、交流することができました。色々な文化を知ることができたことは、私にとって大きな財産になりました。これから先、この経験を自分の人生に活かしていきたいです。また、チームメイトと交流を続け、できれば一度日本に来てもらえるといいな、と考えています。そのときのために、もう少し英語能力を向上させることが、今の私の目標です.
大関一彰 (未来科学部 ロボット・メカトロニクス学科 3年)
2011年7月24日16時15分、コンチネンタル8便で成田を出発しました。途中ニューアーク・リバティ空港でコンチネンタル1615便に乗り換え、現地時間7月25日21時頃、ボストン市にあるジェネラル・エドワード・ローレンス・ローガン空港へ到着。空港からMITの学生が運転するタクシーで移動し、23時頃マサチューセッツ工科大学(MIT)の学生寮「Baker House」に到着しました。レンガ造りの部分が多く耐寒対策がしっかりしており、やはり冬は寒いようです。翌日は早いので、すぐ床に就きます。約20時間に及ぶ長旅で疲れていたので、ぐっすり眠れました。
コンチネンタル8便(ボーイングB777-200ER型) 成田空港にて |
コンチネンタル1615便(ボーイングB737-800型) から見る景色 |
7月26日、朝7時に大学から支給された朝食をとってから、大学内の見学に向かいました。大学内の広さは電大神田キャンパスの比ではなく、「甲子園球場○個分」という表現があっていると思います。見学がひと通り終わると、広い教室に集まって本大会の説明、先生とスタッフの紹介、そしてチーム分けです。チームは全16チームに分けられ、一つのチームに同じ国の学生は二人以上いません。つまりそれぞれお互い外国人です。私はゴールドチームに配属されました。
マサチューセッツ・アベニューに面した MITのキャンパス |
美術館のような佇まいの キャンパス入り 内部 |
「Studio7」というワークショップ室で初めてチームメイトと顔合わせです。ゴールドチームの構成はシンガポール人のJack(本名Ng Jin Kai)、日系ブラジル人のDyo(同Marlon Dyo Fukuda Koga)、韓国人のKim(同Juhyeok Kim)、そして私、Kaz(同Kazuaki Ohzeki)です。お互い本名では呼びにくいということで意見が一致したので、うちのチームでは上記のようなニックネームで呼び合うことにしました。みんな愛想が良くてとても話しやすく、すぐ打ち解けました。お互いの自己紹介が終わると、次はロボットの制作・加工を行う「Pappalardo Lab」で機械の説明を受けました。Pappalardo Labには巨大なボール盤や旋盤、その他アネックス7階にない加工機械が多数あり、こんなものを駆使しなきゃいけないのかと武者震いがしました。翌日から始まるロボット制作が楽しみです。
7月27日。ロボット制作開始です。チームメイトとレギュレーションブックを見ながら、どのような戦略で行くか議論しました。戦略によってロボットの設計は変わるからです。その結果、点数を入れるのに時間がかかるものはリスキーなので省き、それ以外の低いスコアを稼ぐ事に的を絞ったロボットに決定しました。大会側から支給された部品を使って早速加工開始です。私が定規を使い丁寧に設計図を書いていたら、Dyoがフリーハンドで簡単な設計図を書いていました。自分が几帳面なのでしょうか、それとも日本人だからでしょうか。他チームにも“適当設計”なブラジル人がいたらしく、これが文化の違いという奴かもしれません。でも一応言っておきますと、ちょっと設計が適当なだけで中身はすごくいい人たちです(笑)。
昼食は日本人の友達とMITの敷地内にあるスーパーマーケットでRedBullとピザを購入しました。まず大学内にスーパーマーケットがあることが衝撃です。10cm四方の分厚いピザが200円足らず。2週間こんなのばっかり食べたら確実に太ります。健康的な食事を心がけることにしました。
午後は加工作業の続きです。今まで触ったことのない機械を使って加工するのは最初慣れない所がありましたが、インストラクタの先生方やMITの学生に使い方を教えてもらいながら、スムーズに作業は進みました。そんなことをしていると、あっという間に終業時間の17時です。
この日はチームメイトとメキシコ料理店で晩御飯を食べました。ロボコンのこと、お互いの国の言語などについておしゃべりして、大いに盛り上がりました。その中で驚いたのは3人とも日本の事をよく知っているということです。韓国、シンガポール、ブラジル。どこも日本と深い関わりのある国ですが、まさかここまで詳しいとは思いませんでした。Kimは小・中学生の頃に日本語を少し習った経験があったり、Jackも少し日本語を知っていたり、なんとDyoは長渕剛を知っていました。お母さんが長渕剛の大ファンだそうで、ドライブ中によく「とんぼ」を流しているみたいです。歌詞まで知っていました。僕も長渕剛が大好きなのですが、まさか外国人に知っている人がいるなんて…。運命なのでしょうか?(笑)
チームメイトと別れてBaker Houseの自室へ帰ると、一気に疲れが出てきました。そう、時差ボケです。この時期のボストンは夏時間なので日本時間-13時間。行きの飛行機で時差ボケが発生しないように努力したつもりだったのですが、やっぱり無理でした。こればかりはどうしようもありません。こちらの時間に体を慣れさせるしかないです。部屋に着いてシャワーを浴びてから、日本から持ち込んだ「サトウのごはん」(畠山先生オススメ!)を食べてすぐ就寝しました。後日、東南アジアの学生たちと話しましたが、彼らもやはり数日は時差ボケがキツかったみたいです。やっぱり同じアジア人なんですね。
パイナップル入りベーコントマトピザ $2.50 |
寮のロビーで談笑するJackとDyo |
7月28日。ロボットのボディ本体制作、サーボモーターと車輪関連の加工、ロボットに取り付けるデバイスの制作を一日中行いました。
ここでまたお昼ご飯の話をします。28日はこれまたMIT敷地内にあるお店に行きました。「Shinkansen Japan」というお弁当屋です。弾丸列車ファーストフード…つまり注文したら弾丸列車くらいのスピードで出てくるみたいです。ちなみに海外では新幹線は“弾丸列車”と呼ばれていたりします。興味ない人にとってはどうでもいいですがこの看板、Shinkansenっていう名前の割に絵が新幹線じゃないです。TGVでしょうか。TERIYAKIなんとかという、豚肉の炒め物がご飯に乗った弁当を買いました。値段は$6弱。お米がジャポニカ米ではないので日本食とは言えないのですが、結構美味しかったです。
17時に作業終了。ちょっと街中散策してみようということで、電大メンバー3人でボストン・レッドソックスの本拠地フェンウェイ・パークまで散歩することになりました。フェンウェイ・パークはMITから数kmほどの所にあります。ボストン市内中央を流れるチャールズ川を渡り、数十分歩いて着きました。あいにく試合のある日ではなく、球場周辺のお土産屋も開いていなかったのですが、歴史ある球場の雰囲気だけでも感じられて良かったです。
TG…新幹線! | チャールズ川を渡るハーバード橋 | マサチューセッツ・アベニュー |
7月29日。基本的に28日と同じ作業内容です。しかし他チームでは、過去にMIT内で開催されたロボコンに参加経験のある学生が主体となり、既にロボットを完成させている所もありました。自チームの進捗状況に多少焦りを感じ出し、チームメイト3人とロボット完成時期のメドをどうするか話し合いました。その結果、来週中一気に3台作ることとなりました。かなりのハードスケジュールですが、残された時間は少ないのでやるしかありません。
午後の作業が終わってから、電大メンバー4人でチャイナタウンへ行き夕食を取ることにしました。色々な種類のお店が立ち並ぶニューベリー通りまで歩き、ニューベリー通りから地下鉄グリーンラインでチャイナタウンへ行きます。ボストンの地下鉄はどこまで行っても一律$2.00で、財布に優しいです。しかし日本の鉄道と違い時刻表というものがありません、適当な時間にきます。日本じゃ有り得ませんね。
夕食は、世界的指揮者の小澤征爾さんが常連の「香港小食」という中華料理のお店で取りました。やはりどこの国へ行ってもチャイナタウンの中華料理は美味しいものです。大人4人がお腹いっぱい食べて4000円程度で済みました。お酒まで入ってこの安さ、驚きです。食事を終えてからボストンのお土産を買いつつ寮へ帰りました。
7月30日。引き続きロボット制作です。テスト走行中、ロボットに取り付けるデバイスが予定通りに働かず、作業が行き詰まりました。現実はなかなかイメージ通りにいかないものです。しかしチームメート達のアイデアでこの課題をクリア。チームメート同士助けあい、話しあうことがとても大事ですね。この日だけではなく他の日でもそれを実感する機会が多くありました。
この日も17時に作業が終わり、東工大のベトナム人学生を含む6人で出かけることにしました。MIT最寄りのKendall/MIT駅から地下鉄レッドラインに乗り、Harvard Square駅へ向かいます。駅名の通り、駅前にはあのハーバード大学があります。こちらもMITに引けを取らない広さでした。ひと通り学内を見学してから、ハーバード大学の近くで偶然見つけたベトナム料理店に入りました。ベトナム人の友達オススメの料理を食べて、ベトナムのビールも飲めて大満足です。
アイスクリームを食べる3人 | ハーバード大学内Memorial Churchにて |
7月31日、待ちに待った一日オフ!他の日本人たちは美術館などへ行くみたいです。私は一人で市内観光することにしました。まずは地下鉄レッドラインとグリーンラインに乗り、ボストン市北部のNorth Stationへ向かいました。アメリカ海軍艦船 Cassin Young号を見るためです。Cassin Young号は第二次世界大戦中に対日本戦で活躍した駆逐艦で、沖縄近海で“カミカゼアタック”を受けた最後の船です。現在は修復されてドライドックで展示・公開されています。日本人としてこれは見ておくべきと思い、訪問しました。
このあとは地下鉄オレンジラインとブルーラインに乗りAquarium駅へ。駅を出ると目の前にウォーターフロントとニューイングランド水族館があります。本来は水族館へ行く予定だったのですが、チケット買うのに炎天下のなか数十分は待ちそうだったので諦めました。水族館の近くで黒山の人だかりができていて、見に行くと黒人数名が肉体を使った路上パフォーマンスをやっていたのでしばらく見てました。MCは事前にネタ合わせしているのかボケとツッコミのタイミングがばっちりで、私は結構笑っていました。するとパフォーマーの一人が、パフォーマンスに参加してほしい人を観光客から何人か選び出しました。「あれに引っかかったら嫌だなぁ」と思いながら苦笑いしてると、彼が「若い男も必要だな」なんて言いながらこっちへ来ました。はい、参加要請です。周りを見るとアジア人なんて自分しかいなくて、しかも最前列で一眼レフ構えてりゃ目立つのは当たり前ですね。ここで拒否する権利なんてないので参加してきました。結果、なかなか楽しかったのでよしとします(笑)。
今なお堂々たる勇姿を誇る Cassin Young号 |
ボストン湾とつながる ウォーターフロント |
路上パフォーマンスの様子 | カリフォルニア巻き |
そんなハプニングもありつつ、ウォーターフロントを後にします。地下鉄ブルーラインとグリーンラインでKenmore駅へ向かいます。ここはフェンウェイ・パークの最寄り駅です。この前は何もレッドソックスグッズを買えなかったので、リベンジしに来ました。レッドソックス関連のお土産で一番有名なお店は、球場そばにある「Yawkey Way Store」です。店内はかなり広く、売っているグッズはキーホルダーやTシャツからサイン入り硬球まで多岐に渡ります。ここでかなりのお土産を買い込みました。ボストンと言えばレッドソックスですから。
お土産袋を両手に抱えながら、地下鉄グリーンラインで二駅のCopley駅へ行きます。時刻は17時半。ちょっと早いですが、駅近くのウェスティンホテル内の「オスシ」で夕食を取ることにします。ホテル内なので料金は割高ですが、味とサービスは一流で安心しました。注文したのは揚げシュウマイ、鳥の唐揚げ、握り数種類、カリフォルニア巻きです。印象としては、どれもよく日本食を研究しているなという感じです。ネタもシャリも違和感は殆どありませんでした。アメリカ人が作るお寿司、案外侮れません。このあとMITまで歩いて帰りました。ハーバード橋から見えた夕日が幻想的でした。
ハーバード橋から見る夕日(20時半頃) |
8月1日~4日は一気に書きます。最終追い込みということで、我がチームでは放課後の居残り作業をやることになりました。Stutio7が開いている23時ギリギリまで作業を行う日々が続きます。4日にはロボットが3台とも完成し、テスト走行を重ね、改良すべき部分は改良しました。しかしまだ不十分な点があり、試合直前までロボットの調整は続くことになりそうです。
Studio7でテスト走行を繰り返す各班のメンバー |
そして大会当日の8月5日。大会会場に着くと、否が応にも緊張が高まりました。事前にチーム内でそれぞれ試合前後に行うメンテナンス作業等の内容を決めました。F1チームのピットクルーのようです。ドライバーはJackとDyoに決まりました。
まずは1回戦。相手チームのPURPLEチームには東工大の学生がいます、ここは負けられません。試合では接戦で、僅差の点差で勝利しました。
2回戦。これに勝てば準決勝進出です。相手はORANGEチームです。試合では、ORANGEチームのロボット2台がスタックしている内に、こちらのロボットは徐々に点数を入れ、タイムアップして勝ちました。次の試合へ向けて準備をします。
3回戦準決勝。相手はCOPPERチームです。COPPERチームは大掛かりなロボットを使っており、かなり手ごわそうでした。試合では、大量得点を狙った相手チームの大型ロボットを、こちらのロボットで邪魔して(ルール違反ではないですよ)、そのスキに点数を稼ぎました。そして相手チームが点数を入れられないまま勝ちました。このまま終わっても4位以内なので賞品は出ますが、ここで気を抜くわけがありません。狙うはトップです!
表彰式です。表彰状はありませんでしたが、賞品は電動ドリルでした。役立つかどうかは置いておいて、とても嬉しかったです!
トーナメント表 | 大会後チームメートと記念撮影 (Kim・Jack・私・Dyo) |
大会後はMIT美術館を貸しきって打ち上げパーティでした。各国の学生が出し物を行い、日本チームは折り鶴を折りました。シンガポールの学生や先生たちはこちらが説明している間に完成させていました。「なんでみんな折り鶴知っているの?」と彼らに聞いてみると、「折り紙はシンガポールで有名な遊びなんだよ」と言われました。日本の文化って結構ワールドワイドなんですね、驚きです。日系ブラジル人のDyoもやはり易々と作っていました。日本人なのに折り紙ができない私は、外国人からするとさぞかし不思議に見えたでしょう(笑) 。パーティが終わり、翌日はそれぞれ帰国の途に就きます。これでお別れです。私はチームメートに連絡先を渡して帰国したら連絡してくれ!と頼み、別れ際に硬いハグをしました。
成田空港にて ユナイテッド航空803便 (ボーイングB777-200ER) |
8月6日は朝7時頃Baker Houseを出発してタクシーでローガン空港へ向かい、ワシントン・ダレス空港経由で成田へ7日15時に到着しました。
たった2週間とはいえ、終わってみればチーム内では深い親友関係が出来ており、チームの壁を超え、国の壁を超え、他のチームのメンバーとも友達になりました。このような経験は、この先なかなか体験出来るものではないと思います。
今回引率してくださった東京電機大学の畠山先生・釜道先生、東京工業大学の山北先生、そしてこの貴重な機会を与えてくださった全ての関係者の方々に感謝いたします。ありがとうございました。
小河慶太郎(未来科学部 ロボット・メカトロニクス学科 3年)
今回ロボコンに参加して月並みですが、言語の壁というものに最初当たりました。これはもう前からそうなるであろうと思っていましたし、図を描いたりすることでなんとか乗り切ることが出来るのではないかと楽観的に思っていました。これが間違いでした。いざロボットを作る段階となり、チームメイトで話し合いをしました。最初チームメイトはブラジル、タイ、そして私で構成されていて一番英語ができるブラジルのチームメイトを中心にしてロボットを作ることになりました。
ロボットの基本動作としては走る、掴む、引っかける、巻き取るという動作で私は掴む、引っかけるといった動作をするためのパーツを担当することになりました。この段階で問題が発生しました。ブラジル人のチームメイトが発案し、製作する予定のロボットでは試合で得点するには厳しい構造で、かつ規定のルールの大きさをオーバーするサイズだったのです。アイディアを記した図の段階で気付いて別の方法を模索したかったのですが、私の英語が拙くて、十分に説明出来なかったため、作業はどんどん進んでしまい、何とか機体のサイズのことは理解してくれましたが、構造的な欠点はあまり理解してくれませんでした。自分が担当しているパーツを工夫して何とか得点が出来るようにと考え、試行錯誤しました。試行錯誤して作業が遅延する中、チームメイトであるブラジルの参加者の苛立ちが感じられ、自分の英語の拙さを痛感し、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
しかし、そんな苦しい状況下でも気付き、得られたことは沢山あります。タイのチームメイトであるコムサは英語に関してはほとんど出来なかったのですが、ロボットの構造の発案、製作作業を正確にするといった能力では素晴らしい才能をもっていました。ブラジルのチームメイトのルーカスは設計、製作についてはそれほど正確ではないものの要領がよく、また、英語に慣れないチームメイトのために英語をかみ砕いて話をしてくれたのが非常に印象に残っています。また、途中から参加してくれたMITのチャンさんは上手くいかずに悩んでいる自分を「大丈夫だよ」と日本語で話しかけてくれ、精神的に助かりましたし、作業にも大きく貢献してくれました。このようにグループで作業する上で必要な要素を皆数多く持っていて、大きい経験を得ることができました。また、得た中で嬉しいものは作業時間の多くを割いて話し合ったアイディアノートです。これにはチームメイトの意見が全て書いてあり、丸々ノート一冊分消費しました。読み返すと、朝8時から夜の11時まで休憩をはさみつつ製作に携われたことが蘇ります。結果的にはMITの先生、手伝ってくれる学生の人が作業、構造を色々アドバイスしてくれたのも影響し、何とかロボットの構造の欠点が直り、無事完成しました。
また、残念ながらアメリカでの食生活、観光についてあまり言及は出来ません。作業日程中は毎日夜まで作業で観光とか食事を楽しめる暇がありませんでした。ただ休暇の日曜に行ったボストン美術館は広くてきれいな美術品が置いてあり癒されました.
作業最終日はIDCの試合です。試合はトーナメントで、一回戦は勝つことが出来たものの、二回戦で敗れてしまいました。でもチームメイトと一緒に仲良く試合観戦することも出来て楽しかったです。チームメイトとは連絡先を交換して別れました。
今回の目標である「IDCで友達をつくる」ができたのか分かりません。チームメイトと写真も一緒に撮ったこともないですし、食事したこともほとんどないです。でも一緒に作業して、沢山話合いをしたことは確かですし、雑談もあまりせず、みんな一生懸命に作業していました。後悔はほとんどありません。拙い英語と図を真剣に聞いてくれたチームメイトに感謝したいと思います。日本ではこの作業経験を生かして、製作に関われる仕事に就けたら良いなと思いました。
芦 達也 (未来科学部 ロボット・メカトロニクス学科 3年)
私がIDCロボコンを通して強く感じたのはやはり自国との文化の差についてでした。考え方の違いはロボットのデザインを考える際に顕著に見られました。たとえばロボットの移動方法にはタイヤを用いるのですが、自分はモータと繋がっているタイヤとは別にロボットを支えるキャスターを付けるのは当然のように思っていました。しかし、実際の製作ではブラジル人のアイデアにより製作工程の簡略化を優先してタイヤではなく丸みをつけた木の板を使うことになったなどがあげられます。
また、教育のカルキュラムの違いなども強く感じました。日本においては基礎からしっかりと教え込み、地盤をしっかりさせてから勉強したことに基づいて物づくりを行うのに対し、他のチームメイトはすでにCADソフトを使ったことのある人ばかりであったことや、学内ロボコンなどの物づくり機械の豊富さなど、経験を優先している所が目立っていたように思えます。
工具や加工機に対する扱いも日本とは大きく異なりました。ドリルの刃は収納ケースがあるにもかかわらず、ケースから出して一つの箱に入れられており自分でねじと大きさを比べ必要なドリルを探す必要があったことや、また使い終わった工具も旋盤につけたままであったり、ひどい時は床に落ちていると言ったことがありました。また、各チームに2本ずつ配られたデジタルノギスが大会終了時には3本に増えているということもありました。
コンテストに対する意識においては素材に関する規定は厳密ではなく、失敗すれば新しいものに取り換えてもらえたり、どうしても足りない場合は新しい素材またはねじが与えられました。学生としてルールを厳守するのではなく、あくまでモノづくりの経験を重ねることが目的であるというようなものを強く感じました。
普段から先生方の仰っていたように設計図を用いることで言語を必要とせずにコミュニケーションを取るということが可能でした。エンジニアにとって設計図が言語であるということを実感しました。しかし、学生の描いた設計図であるためか、工夫した部分あるいは意図して形を変更した部分を理解してもらうにはやはり英語が必須でした、しかし私は日常生活において英語を使う機会がほとんどありませんでした。そのせいもあってか日本語から英語を作ることしかできなく、本来の英語表現とは異なった文法になってしまい、自分の英語が通じないという場面が多々ありました。発音も国によって訛りの様なものがあるのか、簡単な単語ですらお互いに通じないというようなこともありました。こうなった時には、ジェスチャーや辞書で単語を調べ合いぎこちないながらも理解を進めていきました。このような状況であってもお互いに理解し合おうという意思が感じられたということがメンタル面において、心強いた助けとなりました。
今回のIDCロボコンに参加することで、異文化そのものだけでなく、発想の違いについても理解までは至らなくとも知ることができました。物作りの過程でも国際的なエンジニアになるためにはもっと物づくりの経験を積み発想力を鍛えることや、意見交換のために英語のスキルを上昇させるという課題を発券することができました。また、自分の英語の能力についても何が一番不足しているのか、問題を解くのではなくどうすれば英語を使えるようになるのかといった問題点を発見することができました。
このような貴重な経験を与えてくださった先生方並びに支援してくださった協賛の方々、ロボコンに参加するにあたって協力してくださった方々全員に心からお礼を申し上げて報告書を終わりとさせていただきます。本当にありがとうございました。
銭 智定 (未来科学部 ロボット・メカトロニクス学科 3年)
1.応募動機
私はロボット技術はこれからますます研究・開発される分野と確信しており、この分野に生涯を賭けたいと考えております。このたびのIDCロボコンは、自分の能力を試し・高めるための願ってもない勉強のチャンスだと思っています。また世界中の仲間と知り合い交流を図りたいと考えており,海外に行くことで,私は新しい人と出会い,異国の文化を体験することができます.また,チームメイトとものを作ることや他のチームと競争することは,非常に楽しいかつわくわくの瞬間であり,忘れられない思い出となります.そして、ロボコンに参加することによって,私の学生生活がより有意義かつ充実したものになると思い、ロボット・メカトロニクス学科の選考に応募しました。
本選考では、応募者から2名が選ばれます。ここで、私はプレゼンテーションスライド1枚を用意し、英語で自己PRとものづくりの経験について話しました。その後、選考委員からの質問に答えました。ここも、もちろん英語です。私は語学に関して自信があってあまり緊張しなかったため、言いたいことを思うように伝えることができました。質疑応答の時においても自信を持って回答し、面接をスムーズに終らせました。合格の知らせが届いたとき、私は非常に嬉しく思い、わくわく感じました。「どのような選手が来るだろう?どのような課題が待っているのだろう?」と楽しみにしていました。
2.ボストンへ出発
本年度のIDCロボコンはアメリカ、ボストン州のマサチュセッツ工業大学(MIT)で開催されます。我々(東京工業大学のメンバーも含め)は7月24日に日本から、15時間のフライトでボストンへ出発しました。非常に長いフライトだったので、私はとても疲れましたが、コンテストが明日から始まると思うと少し緊張しました。ボストンについた後、MIT大学の学生に迎えに来ていただいて、大学のバスでBAKER HOUSEというMIT大学の学生寮に移動しました。その後、翌日から始まるコンテストに備えました。
3.チーム分け・構造設計
朝は朝食から始まり、その後、オリエンテーションがありました。そこで、レギュレーションの説明およびチーム分けが行われました。チームはくじびきで分けられ、合計16チームです。私は赤チーム所属になり,メンバーは,中国人,タイ人,ブラジル人,4人で構成されました。本来1チームは5人になるはずでしたが、ビザの関係で来れなかったチームがありました。チーム編成を終えて、明後日に控えている構想発表に備え、早速チームで戦略・機構の検討を始めました。今回の協議は一度MITで開催されることがあったため、MITの学生はこの協議を経験済みです。私のチームはMITの学生がいないため、戦略・機構の設計を最初から始める必要がありましたが、全員優勝を目指す勢いでこの大会に取り組みました。MITの学生がいるチームに負けたくありません。
戦略を検討するとき、早速問題が現れました。タイの方は英語に関してかなり不得意であって、中国の方は話が分らなくなるときがあります。私は、英語の他に中国語およびタイ語を自由自在に使うことができ、会話を翻訳しましたが、翻訳する量が多いので検討の進み具合が当初遅くなりました。幸いブラジルの方は英語ができたので、チーム内のコミュニケーションに関して問題はなく(私はポルトガル語ができないので)、皆さんの知識や力を最大限まで活用することができました。検討している間、気づいたことは、タイの方は機械の分野が得意であり、中国の方は電子の分野、ブラジルの方は機械と設計が得意でした。特にブラジル方は設計ソフトウェアの扱いが特に熟練しており、わずかの時間内でSOLIDWORKSで簡単なモデルを作り上げることができました。そのため、今後の3Dモデルの設計はすべて彼に任せることにしました。また、メンバー全員がわずかな時間で次々と新しいアイディアを思い浮かべられることを気付きました。ダメだったアイディアを捨て、すぐに新しいアイディアを常に提案しあいました。検討に2日間かかり、3目から製作が始まり、機構設計の発表もありました。
4.製作
製作はPappalardo Labで行われました。私はタイ人の友達と一緒にSuper ballを屋上から落とすロボットを製作しました。私はロボットのプログラミングと回路設計を担当し、タイの方はロボットのボディの製作を担当しています。中国の方とブラジル人の方はCannonを引っ張るロボットを担当しました。パトカーをドームの上に載せるロボットは上記の2台が完成した後に製作を始めました。
本ロボコンにおいて、製作するロボットはもちろん与えられた材料のみを使い、その量も制限されていますが、しかし設計・政策ミスなどが発生したとき、新しい材料がもらえます。これは参加者にとって素晴らしい条件だと思います。電大のワークショップ授業と違っていろんな構造を実際に作って試すことができます。私は様々な機構を実験し試すことで、大変勉強になりました。さらに、Pappalardo Labでは、センサーや歯車などの細かい部品が十分備えてあり、ロボットの構造・機能を設計するとき、数え切れないぐらいのアイディアが思い浮かびました。
Pappalardo Labでは、5人のプロの技術者がいまして、加工・組み立てなどを1対1でアドバイスや助けをしてもらえます。私はよく、部品をどうやって組み立てるか、加工法などを聞きに行きました。すごく勉強になりました。そのため、ワークショップ授業と違って、加工法が分らなくても、アイディアさえあればそのアイディアを実現することが可能でした。
ロボットの製作を行っている間、チームメンバーや他チームの参加者の作業を見てみると、皆さんがロボットの製作にとても慣れています。たとえば、中国の方は私と同じ回路設計の担当しておりまして、彼はマイコンやコントローラなどの扱いがとても熟練しています。タイの方は加工法や機械の扱い方にとても慣れています。彼らに尋ねて見ると、彼らは大学でロボットの製作経験がとても豊かでした。逆に私は大学でのものづくり経験は1年生の時だけでした。マイコンなどの扱い方は頭の中で解っていましたが、経験が少ないため作業はゆっくりと進みました。
5.コンテスト当日
いよいよコンテストの日がやってきました。初戦はアーミーチームとの対戦です。私はパトカーを運ぶロボットの操縦を担当しました。フィール内のセットアップはブラジル人と中国人に任せました。コンテストが始まり、Super ballを落とすロボットとCannonを引っ張るロボットはLEDのスタート合図が投入した瞬間に走り出し、両ロボットは最初の20秒において全自動で駆動しています。完璧なはずだったSuper ballロボットはビルの屋上の端の手前に止まっていたためSuper ballを落とすことができなかった。一方、Cannonロボットは指定した位置よりも先に曲がってしまい、近くにあるパトカーにぶつかって、その結果センサーが発動され、ロボットが暴走してしまい、ロボットのフックをCannonに引っかけることができなかった。さらに、ロボットが暴走したせいで、パトカーは持ち上げるロボットが届かないところへ移動してしまいました。試合はアーミーチームの勝利で終えました。
その後、ロボットが思う通り走行しなかった原因を調べてみると、Super ballロボットの電池が弱まった状態であることがわかりました。その影響で、ロボットが走り出すパワーが弱まり、目的地へ到達することができなかったことがわかりました。一方、Cannonロボットに関しては、製作が遅れていたため、走行試験は1つのフィールドでしか行われなかった(コンテストで使用するフェールドと異なるフィールド)。コンテストで使用したフィールドは試し運転で使用したフィールドとそっくりですが、細かい部分(地面の状態、摩擦など)においてはやはり異なります。これらの要素はロボットに大きく影響することが解りました。
試合には負けていましたが、本ロボコンに参加することによって、知識の他に、教室で絶対得られない経験を収穫することができました。この2週間は実に有意義な時間を過ごしました。
6.コンテストを終えて
夜になったら、MIT博物館でパーティがありました。そこで、参加者たちが自分の文化を表す余興を用意しました。我々は、折り紙の実演をやって、参加者の皆さんと一緒に鶴を折りました。パーティでは、仲間とFacebookや電子メールを交換しました。皆さん、思い出が沢山あるようで写真も交換しました。IDCで仲間と一緒に過ごした時間はきっと一生の思い出になり、彼らと友人となることは将来に必ず役に立つと確信しています。
7.謝礼
ボストンに滞在する間、様々なことを支援してくださった畠山先生と釜道先生、最後に本ロボコンに参加する機会を与えてくださったロボット・メカトロニクス学科の皆様には心から感謝を申し上げます。
國安夏奈 (未来科学部 ロボット・メカトロニクス学科 3年)
7/24、初めての海外に多くの不安と期待のなか日本を出発し、10時間以上のフライトで想像以上に疲れました。私がIDCに参加するに当たって立てた目標は、たくさんの友達を作ることです。その目標を達するに当たって最も心配だったことは、やはり言葉の壁でした。もともと英語は苦手で、工学用語に関してはほとんど触れたことがありませんでした。出発に向けて英語の勉強を少しずつやっていましたが、レポートや定期試験の勉強などがあり、思うように進みませんでした。実際に英語でのコミュニケーションをしてみると自分の考えを伝えるのがいかに難しいのかを感じる結果となりました。
到着したのが夜だったので、その日はMIT内を見て回ることができませんでしたが、翌日早く起きたので、少し散歩しました。とにかく広いなと思いました。大学内に日本での一般道並みの道路があり、驚きました。大学の敷地が一つの町のようにも感じました。
私はTealチームとなり、メンバーはアメリカ、フランス、モロッコ、日本の計4人となりました。この日からルールの確認を行いながら、どのようなマシンを作っていくのかを考え、設計していきました。アイデアを出すにあたって自分の考えを英語のみで伝えることは難しく、図を書いて伝えるという形が主でした。ときには、電子辞書などに頼り必死に自分のアイデアを伝え、そのアイデアが取り入れられた時はとてもうれしかったです。MITの学生は、英語を話すのがとても速く聞きとるのが難しかったですが、もう一度言ってほしいと伝えるとゆっくりと、聞き取りにくかった部分ははっきりと言ってくれるようになりました。なかなか伝えることができないことが最初は多く、聞き役に回ることが多かったですが、少しずつ言えることが増えていきました。
設計では、Solid Worksを用いて製作するものをすべてデータ化し、チームメイト全員でDrop Boxで共有していました。それらのデータをもとに製作にあたりました。製作では、ワークショップなどの経験が役に立ちました。チーム内で製作するマシンは、コントロールできるものが2台にスタート地点に据え置きのものが1台となりました。その中で、私はコントロールできるマシンのうち1台を一人で製作することとなりました。製作過程で加工機の使用方法など分からないことはMITのスタッフに聞き、難しい部分は手伝ってもらいながら無事製作することができました。その他のマシンは、ぎりぎりまで完成せず、相当焦りました。コンテスト前日にSeedingがありましたが、マシン本体とプログラムができておらず、できませんでした.
コンテストでは、初戦敗退でした。プログラムの動作確認が十分でなく、思った動きを実現できませんでした。さらに、私が担当したマシンの操作を私自身が行なったのですが、うまく操作することができませんでした。スタート時のプラットホーム上からタイヤが落ちてしまい、前に進ませることができませんでした。そのことがとても悔しく、申し訳ない気持ちでいっぱいになりましたが、「楽しんでやることが一番だから!!」と励ましてもらい悔しかったけれど、とても楽しいコンテストとなりました。
コンテスト後に行なわれたskitでは、折り鶴を折る体験をしてもらいました。みんな手先が器用で複雑な部分もきれいに折れていて、楽しんでもらえたようでとてもよかったです。浴衣を着て、見本の大きな鶴を折っていたのですが、和装というのは目新しいようで多くの人に声をかけてもらえました。
今回のIDCでは、言葉の壁に最も苦労しましたが、段々と聞き取ることも発言することもできるようになりました。 23:00までと遅くまで作業が続くことが多くあり、体力的に厳しい時もありましたが、様々な経験をすることができ、得られるものも多くありました。この経験をこれから生かしていきたいと思います。